THINK MOBILITY

モビリティジャーナリスト森口将之のブログです。モビリティやまちづくりについて気づいたことを綴っています

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メガシティの危機に接して

新型コロナウイルスの感染者数は、厚生労働省の発表によると国内では東京都、大阪府、愛知県の順に多く、逆に岩手県、鳥取県、島根県ではゼロという結果になっています。海外でも米国ニューヨークなど大都市で感染者が多く発生しています。人から人へと感染しているので、人が密集した場所ほど多くの人が感染するのは当然のことです。

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しかも高密度なまちづくりを推進した結果、人口に対して病床のキャパシティが不足し、飲食店や商店は外出する人が大幅に減ったことで収入が得られず、地方に比べて大幅に高い場所代が負担になっています。集客力があるからこそ開催できるイベントやコンサートも、多くの人が長時間狭い場所で過ごす環境が感染につながるということで中止に追い込まれています。

欧米の報道では第2次世界大戦以来という言葉を多く目にします。日本は戦争で悲惨な体験をしたにもかかわらず、この表現を使いたがりませんが、自然災害で東京が被害の中心になったのは最近は記憶になく、リーマンショックは人々の命を直接奪うものではなかったので、戦後生まれの自分にとってはこれらとは明らかに違う、いままで体験したことのない危機的状況だと実感しています。

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それでも今週、仕事で都心の幹線道路を訪れると、交通量はいつもと変わらない感じでした。東京はさまざまな娯楽に囲まれているので、外出しないと気が済まない人が多いのかもしれませんが、これも感染拡大の原因になります。しかも困ったことに一部の人は、感染者が少ない地方に旅行に出かけたり、「疎開」と称して実家に身を寄せたりしています。ウイルスの運び屋になっているかもしれないのにです。

地方が東京人の来訪を拒んでいるという一部の報道は、私も実話として聞いたことがあります。マスクを送ろうとしても断られるほどだそうです。中国武漢で感染が広がった頃、春節での来日に懸念を示したときのことを思い出せば納得できます。そんな状況にもかかわらず、地方の病院に移送すればいいと主張する人がいます。原子力発電所を福島に押し付けるような感覚の持ち主が存在するのは残念です。

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自分を含めて東京で暮らす人は、地方では得られない多くの恩恵を享受してきたはずです。だからこそ今は大都市ならではの危機的状況から逃げることなく、正面から受け止めるべきでしょう。そうはいっても今回はメガシティのデメリットを痛感した人もいるはずで、これまでのような一極集中の流れは、感染収束後は少し平準化していくのではないかと予想しています。

富山ライトレールの14年間

先週末の3月21日、富山駅の南北に分かれて走っていた路面電車の線路が接続し、直通運転を始めました。私も開通式が行われた前日から取材で現地にいたのですが、そこで気づいたのは「富山ライトレール」という名前が過去のものになっていることでした。今年2月、南側の通称・市内電車を走らせている富山地方鉄道に吸収合併されていたからです。

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そもそも富山の路面電車南北直通は富山ライトレールありきでした。廃止が議論されていたJR西日本富山港線を、北陸新幹線建設に伴う富山駅周辺の連続立体交差化事業補助金などを活用してLRTに転換すると富山市が決断し、第3セクターの富山ライトレールを設立すると、2年後の2006年から日本初の本格的LRTとして運行を始めました。その時配布した資料に、すでに南北直通の計画は載っているからです。

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そこには市内電車の環状線化構想も書いています。富山市はプランどおり、一度は廃止された環状線を2009年に復活すると、2015年の北陸新幹線開通に合わせて、この環状線を含めた市内電車を新幹線ホーム下に乗り入れました。その過程では、環状線が走る中心部にイベント広場のグランドプラザやガラス美術館・市立図書館を建設し、まちづくりと一体での公共交通整備であることもアピールしてきました。

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一連の改革の原動力になったのは間違いなく富山ライトレールの成功であり、5周年や10周年はお祝いムードに包まれていた記憶があります。だからこそ、この名前をあっさり手放したことに驚きましたが、2011年に出した拙著「富山から拡がる交通革命」の取材で森雅志市長は、欧州の都市交通のように、県内の鉄軌道をひとつの経営にまとめるべきと話していたことを思い出し、そのためのプロセスのひとつだと納得しました。

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鉄道の運行期間として14年はかなり短いほうでしょう。しかし最近の日本の鉄道で、経営不振による廃止などではなく、発展的解消を遂げた事例は異例でもあります。森市長は来年春での退任を表明していますが、同氏が推進してきた公共交通を軸としたコンパクトなまちづくりとともに、日本のLRTの歴史に大きな一歩を記した富山ライトレールを、これからも語り継いでいく必要があると感じました。

駅名のつくりかた

春は鉄道会社のダイヤ改正がよく行われます。それに合わせて新駅の開業や駅名変更も実施されたりします。首都圏ではJR東日本山手線・京浜東北線にひさしぶりの新駅「高輪ゲートウェイ」が誕生し、京浜急行では一挙に6つの駅名を変更しました。公募を行ったことも共通しますが、両社の駅名の決め方にはかなり違いがありました。

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高輪ゲートウェイ駅は、車両基地の跡地を使った再開発の一環として計画され、駅以外の建物は現在工事が進んでいます。資料を見ると、駅名の公募を行うはるか前の2015年に、「グローバルゲートウェイ品川」というコンセプトワードを決めており、駅名公募のときの資料にも書いています。条件にこそしませんでしたが、社内にはゲートウェイという言葉を入れたい気持ちが強く、公募で1位だった高輪と組み合わせたのではないかと想像してしまいます。

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しかし批判が続出したこともあり、江戸時代に「高輪大木戸」という門が置かれ賑わっていたという説明をしています。木の質感を生かした建築や明朝体を使った駅名標は、こうした歴史的な側面に合致しているような気がします。明朝体は視覚障害者にとって読みにくいという意見もあるので、地色を濃くして高輪大木戸駅とすればまだ違和感は少なかったかもしれません。

一方の京浜急行は、2018年に創立120周年を迎えたことを機に、沿線の小中学生を対象として実施した「わがまち駅名募集」がベースです。羽田空港に関連する2駅は空港側で呼び名の変更があり、東京モノレールともども変えることが前提になっていたうえに、大師橋駅(旧産業道路駅)は川崎市の都市計画事業で地下化されるのを機に変更を考えていたそうで、品川駅や横浜駅など26駅を除き、子どもの意見を聞くことにしました。



変更の理由などについては昨年「東洋経済オンライン」で記事にしていますので、興味のある方はご覧いただきたいのですが、そこにもあるように子どもの意見をそのまま使ったわけではありません。4駅のみを変更し、10駅については「鮫洲【鮫洲運転免許試験場】」のように副駅名標を掲げることになりましたが、募集から決定までに時間をかけ、票数などは公開せず、最終決定は京浜急行が行っています。

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タイトルで「つくりかた」という表現を使ったのは、駅名もまた、まちづくりの一環と考えているからです。どんなまちにしたいかを、住民や自治体の声を聞きながら短い言葉で表現するのは、大きな影響力があります。その点でいけば、事業者としての先入観は持たず、子どもの意見に耳を傾けたうえで、最終的にはプロの目で冷静に判断した京浜急行のプロセスは、参考にすべき事例ではないかと思いました。