このブログではいままでも、団地やニュータウンについて書いてきました。その中から今回は、幼少期に住んでいた埼玉県草加市の松原団地を取り上げます。昨年末、6年ぶりにここを訪れた理由のひとつとして、2017年4月に東武鉄道の最寄り駅の名前が「松原団地」から「獨協大学前<草加松原>」に変わったことがありました。

IMG_6401

東武鉄道のニュースリリースによると、松原団地駅は完成当時、東洋最大規模のマンモス団地と言われた松原団地の最寄駅として、入居開始と同じ1962年に開業。獨協大学は2年後に開学しています。しかし現在、団地の建て替えや市街地の整備が進展していること、2014年に旧日光街道の松並木「草加松原」が国指定の名勝地となったことなどから、草加市では駅名変更協議会を設立。東武鉄道に対し獨協大学前<草加松原>への変更要望を提出しました。

IMG_6412

東武側でも「大学のあるまち」を想起させ地域のイメージアップが図れるとともに、副駅名として草加松原を採用することで観光地としてのPRにもつながることから、改称を受け入れたとのことです。しかし現地を訪れると、それ以上の理由があることが分かりました。

IMG_6415

以前訪れた際にはまだ残っていた、自分が住んでいた棟を含め、多くの団地が取り壊され、マンションや広場に姿を変え、わずかに残る棟も住民の退去が完了し、解体を待っている状況でした。マンションには当然ながら松原団地の名はありません。しかも昔住んでいた場所は「松原団地記念公園」となっていました。松原団地は機能としての役目は終え、果たした役目を回顧する存在になりつつあるようでした。
 
IMG_6441

しかし大昔に通った幼稚園は健在で、昔はなかった保育園も新設してありました。幼稚園の脇では親子連れが遊んでいました。建物とともに住民の世代交代が進んでいました。一方駅前には商店や飲食店に加えて市立図書館もあり、不動産屋は学生相手の看板が目立ちます。昔よりも学生街としての雰囲気は増していました。
 
IMG_6453
 
団地やニュータウンの「老後」に悩む地域が多い中で、松原団地は団地を取り壊して現代的なマンションに建て替え、駅名まで変えて、大学の街への転身を図っていました。昔の住処が消えたことを悲しいとは思いませんでした。むしろ生まれ変わった街が順調に育ちつつあることを目にして嬉しく思いました。松原団地という地名がなくなるのは残念ですが、こういうまち再生もアリだと思うようになりました。