先週末の3月21日、富山駅の南北に分かれて走っていた路面電車の線路が接続し、直通運転を始めました。私も開通式が行われた前日から取材で現地にいたのですが、そこで気づいたのは「富山ライトレール」という名前が過去のものになっていることでした。今年2月、南側の通称・市内電車を走らせている富山地方鉄道に吸収合併されていたからです。

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そもそも富山の路面電車南北直通は富山ライトレールありきでした。廃止が議論されていたJR西日本富山港線を、北陸新幹線建設に伴う富山駅周辺の連続立体交差化事業補助金などを活用してLRTに転換すると富山市が決断し、第3セクターの富山ライトレールを設立すると、2年後の2006年から日本初の本格的LRTとして運行を始めました。その時配布した資料に、すでに南北直通の計画は載っているからです。

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そこには市内電車の環状線化構想も書いています。富山市はプランどおり、一度は廃止された環状線を2009年に復活すると、2015年の北陸新幹線開通に合わせて、この環状線を含めた市内電車を新幹線ホーム下に乗り入れました。その過程では、環状線が走る中心部にイベント広場のグランドプラザやガラス美術館・市立図書館を建設し、まちづくりと一体での公共交通整備であることもアピールしてきました。

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一連の改革の原動力になったのは間違いなく富山ライトレールの成功であり、5周年や10周年はお祝いムードに包まれていた記憶があります。だからこそ、この名前をあっさり手放したことに驚きましたが、2011年に出した拙著「富山から拡がる交通革命」の取材で森雅志市長は、欧州の都市交通のように、県内の鉄軌道をひとつの経営にまとめるべきと話していたことを思い出し、そのためのプロセスのひとつだと納得しました。

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鉄道の運行期間として14年はかなり短いほうでしょう。しかし最近の日本の鉄道で、経営不振による廃止などではなく、発展的解消を遂げた事例は異例でもあります。森市長は来年春での退任を表明していますが、同氏が推進してきた公共交通を軸としたコンパクトなまちづくりとともに、日本のLRTの歴史に大きな一歩を記した富山ライトレールを、これからも語り継いでいく必要があると感じました。