私もよく利用する東京のターミナル、新宿駅西口の再開発が本格化しています。駅前広場を囲んでいた新宿スバルビルと明治安田生命新宿ビルが取り壊されたのに続き、小田急百貨店新宿店本館も姿を消し、吹き抜けの中を地下駐車場にアクセスするらせん状のスロープが巡る地下広場は、工事のための巨大な構造物で覆われました。このあとスロープも撤去されるとのことです。
新宿駅西口の再開発の内容については、下で紹介しているように、ブログでも2020年10月に取り上げました。そのときは具体的な動きが始まったばかりでもあり、漠然と見ていましたが、小田急百貨店が消え、地下広場が蓋で覆われた状況を目にして、残念という気持ちが大きくなりました。どちらも昭和を代表する建築家のひとり、坂倉準三氏の作品であることも大きいと思います。
これに限らず最近、高度経済成長期に生まれた名建築が、全国各地で姿を消しつつあります。坂倉氏が生まれ故郷の岐阜県羽島市で手がけた旧市庁舎も、解体が決定したそうです。東京で言えば、国立西洋美術館本館や国立代々木競技場など、重要文化財に指定されたものは保存の方向になるようですが、中銀カプセルタワービルのように画期的な建物であっても、解体されています。
一方で現役の施設として存続している建築もあります。東京都内では目黒区総合庁舎がそのひとつです。こちらは建築家村野藤吾氏の手で千代田生命保険本社として生まれ、同社が経営破綻したときに区が買い取り、総合庁舎に衣替えしたものです。維持管理は大変かと思いますが、外観は今もきれいで、内部も階段や中庭など当時の面影を残しています。駅から離れた住宅地の中にあった旧庁舎と比べると、中目黒駅の近くという立地も区民にはありがたいでしょう。
目黒区総合庁舎についての解説はこちら
建築やデザインに関わる人たちの話では、あの時代は東京オリンピックや大阪の万国博覧会など、国際的なイベントがいくつも開かれたことで、自分たちの実力を世界にアピールする絶好の場が与えられたことが、結果的に日本の建築やデザインが一気にレベルアップし、世界的に評価され、著名な建築家やデザイナーを何人も輩出することになったそうです。
たしかにあの時代は、日本全体に勢いがありました。建築も例外ではありません。今の日本を築いたという点では、古代から近世にかけて作られた建築に匹敵するのではないでしょうか。後世に名を残すことになる建築家が腕を振るった作品たちです。そういった人たちの偉業を讃え、後世に伝えていくという意味でも、あの頃の建築を残していくことには価値があると考えます。
新宿駅西口の再開発の内容については、下で紹介しているように、ブログでも2020年10月に取り上げました。そのときは具体的な動きが始まったばかりでもあり、漠然と見ていましたが、小田急百貨店が消え、地下広場が蓋で覆われた状況を目にして、残念という気持ちが大きくなりました。どちらも昭和を代表する建築家のひとり、坂倉準三氏の作品であることも大きいと思います。
これに限らず最近、高度経済成長期に生まれた名建築が、全国各地で姿を消しつつあります。坂倉氏が生まれ故郷の岐阜県羽島市で手がけた旧市庁舎も、解体が決定したそうです。東京で言えば、国立西洋美術館本館や国立代々木競技場など、重要文化財に指定されたものは保存の方向になるようですが、中銀カプセルタワービルのように画期的な建物であっても、解体されています。
一方で現役の施設として存続している建築もあります。東京都内では目黒区総合庁舎がそのひとつです。こちらは建築家村野藤吾氏の手で千代田生命保険本社として生まれ、同社が経営破綻したときに区が買い取り、総合庁舎に衣替えしたものです。維持管理は大変かと思いますが、外観は今もきれいで、内部も階段や中庭など当時の面影を残しています。駅から離れた住宅地の中にあった旧庁舎と比べると、中目黒駅の近くという立地も区民にはありがたいでしょう。
目黒区総合庁舎についての解説はこちら
建築やデザインに関わる人たちの話では、あの時代は東京オリンピックや大阪の万国博覧会など、国際的なイベントがいくつも開かれたことで、自分たちの実力を世界にアピールする絶好の場が与えられたことが、結果的に日本の建築やデザインが一気にレベルアップし、世界的に評価され、著名な建築家やデザイナーを何人も輩出することになったそうです。
たしかにあの時代は、日本全体に勢いがありました。建築も例外ではありません。今の日本を築いたという点では、古代から近世にかけて作られた建築に匹敵するのではないでしょうか。後世に名を残すことになる建築家が腕を振るった作品たちです。そういった人たちの偉業を讃え、後世に伝えていくという意味でも、あの頃の建築を残していくことには価値があると考えます。