世界3大レースのひとつと言われるフランスのル・マン24時間レースを初めて観戦しました。レースが行われるサーキットは多くの場合、公共交通では行きにくい場所にあるのですが、ル・マンは2007年にトラム(LRT)が導入されたことで、数少ない例外となりました。私もトラムを使ってサーキットに向かいました。
トラムはフランス国鉄ル・マン駅を中心に3路線が走っています。このうち3号線はバスを使ったBRTで、1・2号線が路面電車になっています。駅の南方にあるサーキットへ向かうのは1号線です。パリのモンパルナス駅からル・マン駅までは高速鉄道TGVで約1時間。駅のすぐ横にトラムの停留場があるので乗り換えは楽です。
ル・マン24時間には2輪レースと4輪レースがあり、2輪はブガッティ・サーキットと呼ばれる専用コースで開催されるのに対し、今回観戦した4輪レースは周辺の一般道を含めたサルト・サーキットで行われます。終点のAntarès-MMArena停留場はこのサルト・サーキットの内側にあり、3分ほどで入口に着きます(上の写真の奥に入口が見えるかと思います)。
ル・マンの街にとって24時間レースは特別なイベントであり、街の各所にポスターが貼られ、レストランやショップにはレースをイメージした飾り付けがなされます。そしてトラムも「24時間仕様」になります。路線案内はレーシングドライバーのイラストが入った専用のものとなり、乗車券も同様のデザインになります。そしてレースが行われる土曜日から日曜日にかけては終夜運転が行われます。
キャンピングカーやテントを持ち込んだ人以外は、スタートからゴールまでサーキットに居続ける人は少なく、どこかのタイミングで自宅やホテルに戻ります。長丁場ということでお酒を飲みながら観戦する人もいるでしょう。またサーキットに行ったことがある人の多くは、帰りの渋滞に悩まされた経験をお持ちだと思います。いろんな面でトラムの24時間運行はありがたい存在です。
各時間帯の運転間隔は決まっていますが、帰り客が殺到した時間帯には次々に車両が送り込まれていました。阪神電鉄の甲子園駅を思わせる臨機応変な輸送を行っていました。またレース前日夕方には市内のジャコバン広場周辺でドライバーのパレードが行われましたが、このときはパレードのコースと重なる区間を運休としていました。
ヨーロッパにおけるトラムは、多くが都市問題の解決のために導入されています。しかしル・マンの場合はそれに加え、世界的に有名なモータースポーツ・イベントの成功を後押しする存在でもありました。自動車と鉄道を敵対関係に位置付ける人も多い中で、ここでは見事な共存が図れていました。
トラムはフランス国鉄ル・マン駅を中心に3路線が走っています。このうち3号線はバスを使ったBRTで、1・2号線が路面電車になっています。駅の南方にあるサーキットへ向かうのは1号線です。パリのモンパルナス駅からル・マン駅までは高速鉄道TGVで約1時間。駅のすぐ横にトラムの停留場があるので乗り換えは楽です。
ル・マン24時間には2輪レースと4輪レースがあり、2輪はブガッティ・サーキットと呼ばれる専用コースで開催されるのに対し、今回観戦した4輪レースは周辺の一般道を含めたサルト・サーキットで行われます。終点のAntarès-MMArena停留場はこのサルト・サーキットの内側にあり、3分ほどで入口に着きます(上の写真の奥に入口が見えるかと思います)。
ル・マンの街にとって24時間レースは特別なイベントであり、街の各所にポスターが貼られ、レストランやショップにはレースをイメージした飾り付けがなされます。そしてトラムも「24時間仕様」になります。路線案内はレーシングドライバーのイラストが入った専用のものとなり、乗車券も同様のデザインになります。そしてレースが行われる土曜日から日曜日にかけては終夜運転が行われます。
キャンピングカーやテントを持ち込んだ人以外は、スタートからゴールまでサーキットに居続ける人は少なく、どこかのタイミングで自宅やホテルに戻ります。長丁場ということでお酒を飲みながら観戦する人もいるでしょう。またサーキットに行ったことがある人の多くは、帰りの渋滞に悩まされた経験をお持ちだと思います。いろんな面でトラムの24時間運行はありがたい存在です。
各時間帯の運転間隔は決まっていますが、帰り客が殺到した時間帯には次々に車両が送り込まれていました。阪神電鉄の甲子園駅を思わせる臨機応変な輸送を行っていました。またレース前日夕方には市内のジャコバン広場周辺でドライバーのパレードが行われましたが、このときはパレードのコースと重なる区間を運休としていました。
ヨーロッパにおけるトラムは、多くが都市問題の解決のために導入されています。しかしル・マンの場合はそれに加え、世界的に有名なモータースポーツ・イベントの成功を後押しする存在でもありました。自動車と鉄道を敵対関係に位置付ける人も多い中で、ここでは見事な共存が図れていました。