THINK MOBILITY

モビリティジャーナリスト森口将之のブログです。モビリティやまちづくりについて気づいたことを綴っています

2018年03月

仕事で初めてニューヨークを訪れました。観光をする暇はほとんどなかったのですが、マンハッタンのホテル周辺を歩いてみると、他の大都市とはひと味違う道づくりをしていることが分かりました。

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マンハッタンは川に囲まれた南北に細長い島で、面積は東京の山手線内とほぼ同じ。碁盤の目のような道は19世紀初めに整備されたそうで、比較的新しい街であることが分かります。特徴は多くの道が一方通行であること。大阪市などにも見られますが、おかげで車線を多く取ることができています。

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多くの道ではその車線を自転車レーンに活用していました。それも駐車・駐輪スペースの外側に設置してあるので、駐車スペースに出入りする自動車との接触も防げそうです。さらにテーブルやイスを置いて歩行者のための小さな広場としている場所もありました。近年治安が良くなったことで、このような取り組みが可能になったのかもしれません。

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サインや標識が整理されていて見やすいことにも好感を抱きました。下の写真の縦長の案内図は全体図と拡大図、主な場所の方向を簡潔に示してあり、とても見やすいものでした。バスレーンやバスシェルターが整備してあることも分かります。駐車禁止などの標識は簡潔な表現の文字で示すものが多く、景観に溶け込ませようという工夫を感じました。

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このように歩行者や自転車にとっては優しい街である一方、自動車は各所で渋滞が発生しており、走りやすいとは思いませんでした。特に島の外側とを結ぶ道路は、東側のイースト川は6本、西側のハドソン川は州が異なる(ニュージャージー州)こともありわずか3本しかなく、写真のリンカーントンネルは入口上の導入路のさらに奥から車列が続いていました。

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ニューヨークはマンハッタンとそれ以外の地域とで景色がまるで違います。自動車中心のまちづくりは景観を均質化すると多くの専門家が指摘していますが、ニューヨークはルドルフ・ジュリアーニ元市長が治安改善に尽力し、歩行者や自転車に優しいまちづくりを進めたことが、マンハッタンの魅力をさらに引き上げているように感じました。

3月18日、米国アリゾナ州テンピでウーバー・テクノロジーズ社が公道で実験走行中の自動運転車が、死亡事故を起こしたことは、多くの方がご存じだと思います。すでに現地の警察が映像とともにコメントを発表しており、現地のメディアもさまざまなニュースを配信しています。この場を借りて亡くなられた方にお悔やみを申し上げます。

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私は今月上旬、ペンシルバニア州ピッツバーグの公道で同社の自動運転車に乗ったばかりで、試乗に先駆けて説明も受けました。原因解明はしばらく先になりそうですが、これまでの自動運転車体験も踏まえ、今の時点で考えていることを記すことにします。

映像を見る限り、横断歩道ではない場所で暗闇の中から突然自転車を押した歩行者が飛び出してきており、避けることは難しいという警察のコメントには同意します。また歩行者の側からヘッドライトは見えていたはずであり、自分が歩行者として同じ状況にいたら、このような行動は取らないでしょう。 

誤解している人もいるようですが、自動運転車であってもエンジンやモーター、ステアリング、ブレーキなどのメカニズムは通常の自動車と基本的に共通です。よってブレーキを掛けてから停止するまでの距離は同一です。事故がゼロになるわけではなく、人間のミスを少なくすることで事故を減らす技術です。さらに言えば自動運転車も人間が作るので、開発生産時のミスも考えられます。

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またウーバーは現在全米4か所で200台以上の自動運転車の実験を行っており、2016年1月からの2年間の累計走行距離は320万kmに達するそうです。平均的な人間が一生の間に運転する距離の数倍の経験を積む中で起きた事故と言えます。

一方で今回の自動運転車は、衝突前にブレーキやステアリング操作がなかったという報告があります。センサーやAIが正規の機能を果たしていなかった可能性があります。このようなトラブルになった際、現在実験走行中の多くの自動運転車は、運転席に座るオペレーターに運転を代わってもらうメッセージを出すはずですが、オペレーターの様子から見る限り、そのような兆候がなかったようです。

さらにオペレーターは、自動運転技術で対応できない障害を発見したときには、自主的に運転を変わります。自分がウーバーを含め、今年公道で乗った3台の自動運転車は、路上駐車車両などを追い抜く際に手動に切り替えていました。映像を見る限り、今回のオペレーターはこうした対応もしなかったようです。

しかしこうした状況を理由に自動運転を否定することは早計だと思います。

事故報道を見ながら思い出したのはジェット旅客機の歴史です。世界初のジェット旅客機は英国デ・ハビランド社のコメットでしたが、与圧と減圧の繰り返しで機体の金属疲労が想定以上に進み、2度の空中分解事故を起こし多数の犠牲者を出しました。しかし現在、多くのジェット旅客機が世界の空を飛んでいます。コメットの教訓を安全対策に生かして進化を続け、社会の要求に応えたのです。

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自動運転が必要と考える社会もまた存在します。その代表はこのブログで何度も報告してきたように高齢化が進む過疎地で、公共交通は採算悪化のうえに運転手不足もあって廃止や減便が進み、多くの住民が日々の移動に困っているような場所です。注目したいのは、こうした場所で実験を重ねている車両の多くが最高速度約20km/hという低速で走行していることです。

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スイスのシオンで無人運転バスに乗車中、歩行者が直前に飛び出してきましたが、低速なので瞬時に停止し事なきを得ました。そして今回の死亡事故。現状の技術を考えれば、まず低速走行の公共交通として実用化するのが社会的にも理に叶っているのではないでしょうか。歩行者は永遠に自動化されません。だからこそ徐々に速度を上げつつ、人間とAIが力を合わせて歩行者との付き合い方を考えていくことが大事だと思います。

東京の道路で自転車のアイコンや矢印を見かけることが多くなりました。自転車ナビマーク、あるいは自転車ナビラインと呼ばれるもので、前者は自転車を正面から見たアイコンと矢印を道路の左端に白で描き、後者は交差点内で矢印のみをブルーで表示しています。

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私は自宅と事務所、約2kmの道のりを自転車で移動することが多いのですが、そのとき通る上の道にも自転車ナビマークが描かれています。道幅にも余裕があるので問題なく走れます。しかし別の機会に自動車で走った環七(環状七号線)は下のような状況になっていました。片側3車線の道路はいずれも車線が狭く、自転車ナビマークはタイヤが通る場所に描かれています。そのためすでに表示が消えかかっていました。

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警視庁のウェブサイトによれば、自転車ナビマークは道路、自転車ナビラインは交差点で、それぞれ自転車の走る場所や進む方向を示し、安全な走行を促すものとのことです。しかし環七の自転車ナビマークが安全な走行を促すものだと考える人は少ないのではないでしょうか。

自転車ナビマークそのものを否定しているわけではありません。構造を変えずに自転車空間を確保するのが無理な道路が多いわけであり、これを機に多くの場所で「道路の再配分」を進め、明確な自転車レーンを作っていってほしいと思っているのです。さきほどの環七で言えば自動車の車線をひとつ減らし、その分を歩道拡充と自転車レーン新設に充てるのが自然でしょう。

このブログでも告知した3月1日開催の「スマートドライバーフォーラム」で、私は「道路は誰のもの?」というテーマで、欧米各国が過度な自動車依存社会からの脱却を目指すべく、道路の再配分を実行した例をお見せしました。ここではアムステルダム、バルセロナ、ポートランドを紹介します。いずれも最近になって整備された場所であることが写真からお分かりかと思います。

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気づいた方がいるかもしれませんが、すべて歩道上に自転車レーンがあります。3都市とも車道に自転車レーンを用意した場所もありますが、あえてこの3点を出しました。理由は我が国の自転車政策が下のように、自転車は車道走行が原則というルールを自転車レーンにも導入してしまっており、欧米では一般的に見られる歩道上の自転車レーン設置を認めていないからです。

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国土交通省(http://www.mlit.go.jp/index.html)の資料より

その理由として、自転車事故は大幅に減少しているのに対し自転車と歩行者の接触事故が減らないことを挙げていますが、歩行者・自転車・自動車の移動速度の差を考えれば、速度差が大きな自転車と自動車のレーン間を明確に分けたほうが安全ではないかという気がします。逆に自転車と歩行者の速度差は小さく、危険な場面では自転車が速度を落とせば多くの場合事故は防げるのではないかと考えます。

現在国土交通省では、昨年施行された自転車活用推進法に基づき、自転車の活用の推進に関する目標や実施すべき施策を定める「自転車活用推進計画」の骨子をとりまとめ、今年夏までの計画策定に向け、3月27日(火)までインターネットによるアンケートを実施しています。日本の自転車政策をどうすべきか、気になる方は声を寄せてはいかがでしょうか。

北陸地方の交通はこのブログで何度も取り上げてきました。いずれも先進的かつ革新的な取り組みであり高く評価してきました。しかし中には、これは?と首を捻るような事例もあります。

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まもなく開業3周年を迎える北陸新幹線の富山駅と金沢駅の間に新高岡駅があります。JR城端線との乗換駅で、次の駅が高岡市の中心となる高岡駅になります。新高岡駅は当初、今より250m東側にあるイオンモール高岡付近に作られる予定でしたが、地元自治体の要望を受けて現在の位置に変わりました。自治体側は続いてJR西日本に城端線新駅の設置を要望し、現在の形になったそうです。

筆者は金沢駅から北陸新幹線に乗って新高岡駅で降り、城端線で高岡駅に向かおうとしました。新幹線と城端線の駅は隣接していて乗り換えは楽です。しかし城端線の時刻表を見て唖然としました。本数が少ないうえに新幹線との連絡が考慮されておらず、1時間近く待つことになったのです。

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駅の中には土産物屋がありますが、駅前広場はカフェ、ラーメン屋、ビジネスホテルが点在しているだけ。高岡駅を経由して各地へ向かうバスは本数があります。バス移動を前提とするならイオンモールの場所のほうが良かったのでは?と思いました。それでも1時間近く待って2両編成のディーゼルカーに乗ると、下校時間帯ということもあり東京の通勤電車を思わせる混雑でした。

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高岡駅は4年前に新しい駅ビルが完成し、駅前広場で止まっていた万葉線が中に乗り入れるなど、富山駅を思わせるモダンな作りになりました。おそらく北陸新幹線開業を見据えて建て直したのでしょう。しかし新高岡駅とここを結ぶ城端線は上記のような状況です。万葉線を新高岡駅に伸ばせば利便性は高まるでしょうが、当初からその計画があれば駅構造は違ってきたのではないでしょうか。

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しかも高岡市は慢性的な財政難であり、筆者が訪れた1月は周辺自治体に比べて除雪の遅れが話題になっていました。まして新高岡駅も高岡駅ビルも作ったばかりであり、当面はこれを活用するしかありません。そこで思い出したのが、富山市がJR高山本線に対して行った列車増発の社会実験です。

くわしくは拙著「富山から拡がる交通革命」に書いていますが、社会実験では増発分の費用を富山市が負担する代わりに、乗客増加分の運賃収入をJRから返還してもらう形で進め、まちづくり交付金を活用して沿線の整備も進めました。新興住宅地が広がる場所に婦中鵜坂という新駅も作りました。実験は一定の効果を上げ、駅は常設となり、本数も以前より増えています。

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高岡市などでは停車駅の少ない「かがやき」の新高岡駅停車を求めており、JRでは臨時列車を1日1本停車させていましたが、利用者が少ないことを理由に、昨年12月からは平日の停車がなくなりました。これについて高岡市長は残念とコメントしたようです。受け身の姿勢が感じられて残念に思いました。利用者を増やすのはJRだけの仕事ではありません。自治体がやれることもたくさんあるはずです。

今回はまず、1月に富山で行なったセミナーで使ったスライドからお見せします。「自動運転ですべて解決、ではない」というタイトルの下に4つの乗り物の写真があり、脇に数字が書かれていますが、何を意味しているかお分かりでしょうか。

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数字は自転車、軽自動車、無人運転バス(イージーマイルEZ10)、LRT車両 (富山ライトレール)の乗車定員を示したものです。ここで取り上げるLRT車両の全長は18.4mですが、これと同じ人数を運ぶとするとEZ10では7台・27.4m、軽自動車では20台・67.9mにもなります(自転車はサイズがまちまちで幅がかなり狭いので比較は避けます)。

最近一部のメディアで、自動運転が実用化されれば公共交通は不要になるという論調を目にすることがあります。しかし私はそもそもこの両者を比べることが誤りだと考えます。理由は東京の新交通システムゆりかもめなど、公共交通にはすでに自動運転を実用化しているものがあり、現在実験中の自動運転・無人運転の多くはバスやライドシェアなど公共交通としての利用を目的としているからです。

ライドシェアは現状では個人所有の乗用車を使っているので、パブリックとパーソナルの中間と言えそうですが、 ドライバーがいなくなれば運行業者がコントロールすることになるので、公共交通の一種になります。今月5日から日産自動車とDeNAが実証実験を開始する「イージーライド」については日産が開発した自動運転乗用車を使っていますが、同社では交通サービスと呼んでいます。

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イージーライドについてはこちらもご参照ください=https://news.mynavi.jp/article/20180302-easyride/

自動運転と公共交通を対立軸に置く人は、おそらく自動運転は乗用車、公共交通は鉄道に代表される大量輸送機関をイメージしたのではないかと思われます。正確な言葉を使ってほしいものですが、それでも両者は比較相手にはならないと考えます。理由が最初に挙げた数字です。

場所や時間によって移動する人の数は異なります。過疎化が進む農村部では乗用車で間に合うでしょうが、地方都市でも富山の中心部であればLRTレベルの車両が必要になります。これをすべて乗用車で賄えば、多くの道が大渋滞になるでしょう。自動運転になっても車両の大きさは変わらないのですから。東京で暮らす人は東日本大震災が発生した日の夜を思い出してください。あのときも鉄道がストップしたことで多くの人が自動車で移動した結果、大渋滞となりました。

自動運転乗用車が普及するとコンパクトシティの考えが必要なくなるので、大量輸送機関が必要なくなるという人もいます。しかしコンパクトシティは交通の集約化が目的ではありません。7年前に富山市長の森雅志氏からお聞きした「除雪の費用が大変」という言葉は今も忘れられません。水道やガスなどインフラの長さも違ってきます。コンパクトシティは行政サービスの効率化が最大の目的であり、そのためのツールとして公共交通を活用しているのです。

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このブログで自動運転・無人運転の実験現場を何度も報告してきたことで分かるとおり、私は自動運転推進派です。しかしすべての乗り物が自動運転の乗用車に置き換わることは、インフラのキャパシティなどから鑑みて無理だと思います。モビリティの問題解決のための選択肢がひとつ増えたとするのが自然だと考えています。

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