先月、駐日ジョージア大使のSNS投稿をきっかけに、公共交通車両の優先席について議論が盛り上がったことがありました。大使が座っていた鉄道車両の座席が優先席であったことがきっかけで、「優先席は必要な人のために空けておくべき」などの反論がありました。
こうした意見に対して大使は、「空いている席に座ることに何ら問題はありません」「大切なのは必要とする方が来たときに率先して譲る精神です」と主張しました。私自身は大使の意見に賛同しますが、いろいろな意見があっていいと思います。しかし自分の意見を他人に押し付けるというのは、多様な意見は認めないという逆の結果になるので、注意が必要だと思います。
日本人の特徴を言い表す言葉のひとつに「同調圧力」があります。日本が島国で、多くの人が日本語という単一の言語を話すことなどから、お互いに同調行動を取りながら生活することが多いことが理由と言われており、東京大学教授の中根千枝氏が1967年に書いた「縦社会の人間関係 単一社会の理論」などによって、昔から指摘されていることです。
最近では新型コロナウイルス感染対策のマスクについても、「する派」「しない派」が生まれ、「すべき」「やめましょう」など、他人に同調を促す意見が多く見られました。自分に同調する仲間を増やして多数派になり安心したいという気持ちから、このような行動に至ったのかもしれません。
ただし昨年秋にひさしぶりに訪れた欧州では、そのような空気は感じませんでした。現地の公共交通では、空いているときはほとんどすべての人がマスクなしでしたが、混んでいるときはマスクをする乗客もいて、途中で付ける人もいました。個人が状況に応じて自由に着用を選んでいるような気がして、これが本来の姿だと思いました。
なので優先席についても、どのように使うかは各自の判断に任せたいという気持ちですが、ひとつだけ書いておきたいのは、混雑時に空いている席があるときは座ったほうが、その分床が広く使え、混雑が緩和するということです。これは特に、鉄道車両より床面積に限りがあるバスで明らかです。そして優先席を必要とする方が来たら、譲ればいいのではないでしょうか。
ちなみに欧州の公共交通車両にも優先席はありますが、座席を色分けしたりせず、上の写真のルクセンブルクLRTのように、小さなステッカーを貼っているだけというパターンを多く見かけます。優先席を特別扱いしない姿からは、すべての座席が高齢者や障害者などに譲る場所であってほしいというメッセージが伝わってきました。
最近日本でも目にするようになってきた、車いすやベビーカーの利用者などのためのフリースペースについても、気づいたことがあります。先日乗っていた路線バスでは、車いすを固定する場所に折り畳み式の座席があり、しかもそこが優先席だったためか、座っていた人がなかなか立ち上がらず、車いす利用者の乗車に時間がかかっていました。上の写真にあるパリを走るバスのように、フリースペースは座席がないほうがスムーズだと感じました。
多かれ少なかれ日本人が宿している同調性には、良い面もたくさんあるので否定はしません。ただ公共交通を含めた公共空間は、すべての人に等しい地位や権利が与えられる場だと思っているので、同調を求めるあまり、特定の意見が支配するような風潮はないことを望みますし、今回を含めこういう話題を考えるきっかけを与えてくれる点は、公共交通の良さだと改めて感じています。
こうした意見に対して大使は、「空いている席に座ることに何ら問題はありません」「大切なのは必要とする方が来たときに率先して譲る精神です」と主張しました。私自身は大使の意見に賛同しますが、いろいろな意見があっていいと思います。しかし自分の意見を他人に押し付けるというのは、多様な意見は認めないという逆の結果になるので、注意が必要だと思います。
日本人の特徴を言い表す言葉のひとつに「同調圧力」があります。日本が島国で、多くの人が日本語という単一の言語を話すことなどから、お互いに同調行動を取りながら生活することが多いことが理由と言われており、東京大学教授の中根千枝氏が1967年に書いた「縦社会の人間関係 単一社会の理論」などによって、昔から指摘されていることです。
最近では新型コロナウイルス感染対策のマスクについても、「する派」「しない派」が生まれ、「すべき」「やめましょう」など、他人に同調を促す意見が多く見られました。自分に同調する仲間を増やして多数派になり安心したいという気持ちから、このような行動に至ったのかもしれません。
ただし昨年秋にひさしぶりに訪れた欧州では、そのような空気は感じませんでした。現地の公共交通では、空いているときはほとんどすべての人がマスクなしでしたが、混んでいるときはマスクをする乗客もいて、途中で付ける人もいました。個人が状況に応じて自由に着用を選んでいるような気がして、これが本来の姿だと思いました。
なので優先席についても、どのように使うかは各自の判断に任せたいという気持ちですが、ひとつだけ書いておきたいのは、混雑時に空いている席があるときは座ったほうが、その分床が広く使え、混雑が緩和するということです。これは特に、鉄道車両より床面積に限りがあるバスで明らかです。そして優先席を必要とする方が来たら、譲ればいいのではないでしょうか。
ちなみに欧州の公共交通車両にも優先席はありますが、座席を色分けしたりせず、上の写真のルクセンブルクLRTのように、小さなステッカーを貼っているだけというパターンを多く見かけます。優先席を特別扱いしない姿からは、すべての座席が高齢者や障害者などに譲る場所であってほしいというメッセージが伝わってきました。
最近日本でも目にするようになってきた、車いすやベビーカーの利用者などのためのフリースペースについても、気づいたことがあります。先日乗っていた路線バスでは、車いすを固定する場所に折り畳み式の座席があり、しかもそこが優先席だったためか、座っていた人がなかなか立ち上がらず、車いす利用者の乗車に時間がかかっていました。上の写真にあるパリを走るバスのように、フリースペースは座席がないほうがスムーズだと感じました。
多かれ少なかれ日本人が宿している同調性には、良い面もたくさんあるので否定はしません。ただ公共交通を含めた公共空間は、すべての人に等しい地位や権利が与えられる場だと思っているので、同調を求めるあまり、特定の意見が支配するような風潮はないことを望みますし、今回を含めこういう話題を考えるきっかけを与えてくれる点は、公共交通の良さだと改めて感じています。