THINK MOBILITY

モビリティジャーナリスト森口将之のブログです。モビリティやまちづくりについて気づいたことを綴っています

カテゴリ: まちづくり

9月に日本福祉のまちづくり学会全国大会のために石川県小松市を訪れたことは以前書きましたが、そのときには福井県敦賀市にも足を運びました。JR西日本北陸新幹線の現時点での終着駅であり、開業直後から在来線との乗換時間が話題になっていたので、確かめたかったという理由もありました。

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最初に乗換について書くと、新幹線ホームから直下にある在来線特急「サンダーバード」「しらさぎ」専用ホームまでは、乗客がそれほど多くなかったためもあって5分ぐらいで着きました。あっけないと感じるほどでした。しかしそこから同じJR西日本の小浜線、以前は北陸本線だった第3セクターのハピラインふくいのホームまでは、100mぐらい通路を歩くことになります。この2路線への乗換はちょっと大変かもしれません。

私はまちに出たかったので、敦賀駅の玄関口である西口(まちなみ口)に向かいました。駅舎はさらに奥にあるので、移動距離はありますが、新幹線に先駆けて開業した「敦賀駅交流施設オルパーク」は多目的室やレンタルスペースを備え、隣接する「TSURUGA POLT SQUARE『otta』」は広場のまわりに飲食店が並び、子育てサポートセンターが用意されるなど、交流や賑わいを感じられる場でした。

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その中でも個人的に印象に残ったのが、木の枝をイメージした迷路のような書棚が斬新な「TSURUGA BOOKS & COMMONS ちえなみき」でした。日本初の公設民営型の書店であり、カフェや学習スペースも備えています。豊穣な生命力、生産力の象徴とされている木をモチーフとすることで、敦賀市に根差し、その成長と発展を支えていく知の拠点を表現しているそうです。

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まちの発展の礎になった敦賀港周辺も美しく整備されていました。敦賀港は明治から昭和初期にかけて、シベリア鉄道を経由してヨーロッパ各都市と日本を結ぶ国際拠点としての役割を担いました。その過程では、ロシア革命により家族を失ったポーランド孤児や、ナチス・ドイツの迫害から逃れるべく杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民の受け入れという出来事もありました。

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かつて敦賀港駅があった場所には、こうした歴史を後世に伝える「人道の港 敦賀ムゼウム」があります。そして海辺に広がる緑が心地よい金ヶ崎緑地を挟んで西側には、敦賀港駅舎を再現した「敦賀鉄道資料館」が、欧亜国際連絡列車や国内最初の本格的交流電化の足跡を資料や写真で紹介しています。

ちなみに貨物線が廃止になったのは2019年とつい最近のことで、今も線路は残されています。敦賀市ではここを観光に活用すべく、廃線跡をJR貨物から購入し、今年度末までに整備の方向性を定めるそうです。敦賀駅から港までは約2kmあり、徒歩ではきつく、バスやシェアサイクルを使うことになるので、北九州市の門司港のようにトロッコ列車を走らせれば、観光客だけでなく地域の人たちにとっても便利になるでしょう。

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敦賀港イルミネーション「ミライエ」の紹介はこちら

そんな敦賀港では今月3日から、毎年恒例となっているライトアップ「ミライエ」が始まりました。金ヶ崎緑地周辺がイルミネーションで覆われる光景は写真で見ただけでも引き込まれます。時間は18〜21時で、11月中は毎週金土日曜日と祝日、12月は毎日点灯するそうです。乗換ばかりが取り上げられがちですが、まちづくりも注目の場所であることは覚えておいて良いのではないでしょうか。

昨日は埼玉県小鹿野町で行われた、「第13回バイクラブフォーラム(BLF)im 埼玉・おがの」に参加してきました。このイベントは経済産業省や日本自動車工業会などの二輪関係団体および自治体からなる開催実行委員会が主催するものです。首都圏が舞台ということで、私も自分のトライアンフを駆って参加してきました。

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バイクラブフォーラムのオフィシャルサイトはこちら

小鹿野町という地名を初めて見る人もいるでしょう。埼玉県の西部、秩父市中心部の西側にある街で、面積は埼玉県の町で最大ですが、人口は1万人ほどです。ではなぜここでBLFが開催されたかというと、日本の自治体で初めて、「バイクでまちおこし」を始めたからです。BLFではもちろん、同町の取り組みの説明もありました。

小鹿野町長は、なによりも交通安全を大切にしたとのことで、その効果もあって、昨日まで交通事故ゼロを5093日も続けているとのこと。これは埼玉県トップだそうです。さらに地名の由来にもなった小鹿神社をバイク神社としてアピールしたり、専用駐車場を各所に用意したり、最初の写真にあるロゴマークを制作したりと、多彩な取り組みを進めています。

たまたま昼食で立ち寄った「MOTO GREEN CAFE」は、店内にホンダ(本田技研工業)のクラシックモデルが並んでいて、博物館のような眺めでした。100年以上前に建てられた銀行の蔵を用いており、バイクでまちおこしをしていることを聞き、ご自身が所有するバイクを置く形で10年前に営業を始めたとのこと。ライダーならずとも立ち寄りたいスポットのひとつではないでしょうか。

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BLFではパネルディスカッションで、他の地域の取り組みも紹介されました。国内からは、3メーカーの創業の地であり、過去2回BLFを開催している浜松市とともに、鳥取県八頭町の担当者が登壇。町内を走る若狭鉄道に隼駅があることから、スズキ「隼」の聖地となり、毎年8月の「隼駅まつり」には多くのライダーが訪れるそうです。鉄道とバイクのコラボは世界的にも異例だと思います。

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さらにグローバルな組織であるFIM(国際モータサイクリズム連盟)では、モトツーリズムを積極的に推進していて、26か国で展開してきたことや、日本人ライダーとして初めてパリ・ダカールラリーを完走した風間深志氏が立ち上げたSSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)は、ダカールの海岸を思わせる石川県の千里浜なぎさドライブウェイをゴールとするなどの設定も注目され、わずか10年で国内最大のツーリングイベントに発展したことなどが紹介されました。

世界で販売される二輪車の半分以上は日本メーカーが生産しており、海に囲まれた山がちな国土に四季が彩りを添えてくれるおかげもあって、ツーリングを楽しめる道がたくさんあります。バイクの保有台数は1000万台レベルをキープしており、高速道路を走れる軽2輪と小型2輪の台数は増加しているそうです。であれば小鹿野町のような取り組みを、他の地域でも展開して良いのではないかと感じました。

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ちなみに今日は、小鹿野町の国民宿舎両神荘前広場で、BLFの関連イベントである「寄ってけ〜な!オガのツーリングキャンペーン」開催記念ステージが行われました。秩父の自然を満喫してもらうツーリングキャンペーンで、専用ウェブサイト「GPSモバイルスタンプラリー」にアクセスしたうえで、秩父エリアのチェックポイントを訪問してスタンプを獲得すると、スタンプ数に応じて抽選で商品がプレゼントされるとのこと。気になる方は挑戦してみてください。

今から80年前の今日、長崎に原爆が投下されました。私は実際にその場にいたわけではないし、このまちで暮らしたことすらありませんが、長崎が最後の被爆地であり続けるためにも、世界中のひとりでも多くの人が広島とともにここを訪れ、地元の人たちや展示施設などを通して惨状を知り、後世に伝えていくことが大事であると、今日改めて思いました。

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そのためには、多くの人が安全快適に長崎を巡ることができることもまた、大切であると考えます。今年の春、久しぶりに長崎を訪れる機会があり、公共交通を使っていくつかの場所を訪れたので、モビリティ視点で気づいたことを綴っていくことにします。

まず取り上げるのは、JR九州西九州新幹線開業にともなって、150m西側に移設された長崎駅です。これまで駅があった部分は駅前広場、商業施設、ホテル、多目的広場などに生まれ変わりましたが、逆に旧駅の東側を走る国道202号線上の路面電車(長崎電気軌道)停留所、国道に面した路線バス停留所や高速バスのターミナルは遠くなってしまいました。

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駅から路面電車の停留所に向かって歩くと、3分の2ほど進んだところに、レールが埋め込まれていました。ここが旧駅のあったところだそうです。この位置であれば、路面電車やバスへの乗り換えは楽だったでしょう。

同じ被爆地である広島では、8月6日を前に、路面電車がJR西日本の広島駅ビル2階に乗り入れることで、山陽新幹線をはじめとするJR各線との乗り換えが楽になりました。しかも長崎県によると、長崎駅の駅前広場は観光バスとタクシーの乗降および待機に使われる以外は、一般車の駐車場になるとのこと。マイカー移動が多い地域であることは理解しますが、ウォーカブルシティの考え方が国内でも根付きつつあるので、複雑な気持ちを抱きました。 

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長崎県「長崎市中心部の交通結節等検討会議」のウェブサイトはこちら

路面電車の路線図を見ると、平和公園、原爆資料館、出島、めがね橋、大浦天主堂など、有名な観光地をそのまま名前とした停留場がいくつもあります。市役所、メディカルセンター、長崎大学といった停留場名も目にします。それだけ地域住民にとっても観光客にとっても重要な移動手段なのでしょう。だからこそ駅との直結を考えてほしいし、すべての路線バスが駅前広場から乗れるようになってほしいものです。

一方で長崎には、感心する部分もありました。坂道を楽に上り下りできるような仕掛けが各所に用意されていることです。たとえば有名な観光地のひとつであるグラバー園の周辺には、丘の上にあることもあり、エスカレーターや斜行エレベーター、動く歩道などがあり、近くの大浦天主堂を含めて快適に巡ることができました。

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山頂からの夜景がすばらしい稲佐山には、ロープウェイとスロープカーでアクセス可能です。なかでも印象的だったのは、5年前に運行を開始したスロープカーで、モノレールのように1本のレールに跨りつつ、斜面を走行中も車体は常に水平に保つという凝った構造で、ロープウェイともどもフェラーリなどを手がけた工業デザイナー奥山清行氏が関わっており、洗練された移動空間に仕上がっていました。

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もちろんこうした移動手段が用意されているのは一部で、多くの地域ではアップダウンに苦労しながらの生活が続いています。多くの地域と同じように、人口減少や高齢化も進んでいます。すべての人に安全快適なモビリティを提供するのは大変かもしれません。なので長崎駅周辺など、幹になるところから改革に取り組んでほしいものです。それが多くの人に長崎を知ってもらうために、大事なことだと考えています。

*来週は夏休みをいただきます。次回の更新は8月23日の予定です。

前回のブログで報告した、鎌倉市でのウォーキングプログラムでは、鎌倉駅周辺から深沢地域へ、JR東日本横須賀線と湘南モノレールを乗り継いで行きました。私も登壇したワークショップは深沢地域で行ったので、帰りも湘南モノレールを使いました。ひさしぶりに乗車して、あらためて独特の楽しさがある公共交通だと思いました。

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湘南モノレールのオフィシャルサイトはこちら

現在営業中の日本のモノレールは、スウェーデンの学者アクセル・レナート・ウェナーグレンがドイツで設立したアルウェーグ社の技術をもとにした跨座式(アルウェーグ式)と、フランスのミシュランやルノーなどが設立したサフェージュ社(フランス経営管理研究株式会社)の技術を継承した懸垂式(サフェージュ式)に分けられます。前者は日立製作所、後者は三菱グループが国内での展開を進めました。

湘南モノレールは、かつて京浜急行電鉄が保有し、日本初の有料道路かつ自動車専用道路でもあった道の上を通っています。当初は通常の鉄道を考えたそうですが、起伏が激しいので断念し有料道路化。しかし第二次世界大戦後、沿線に三菱電機の工場があったこともあり、懸垂式モノレールの導入となったそうです。なおモノレールの開通後、有料道路は一般道路に切り替わりました。

たしかにゴムタイヤで走るモノレールは、アップダウンに強い乗り物です。湘南モノレールが開通した1970年前後は、全国的にモノレールの展開が進んでいた時期ではありますが、持ち味を生かした選択には今でも納得するところです。

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© Île-de-France Mobilités/Doppel France

懸垂式モノレールに似た「ぶら下がり式」の乗り物として、ケーブルを用いたロープウェイもあります。こちらもアップダウンに強いことから山岳地帯で多く見ますが、最近は都市型ロープウェイも出てきています。日本では横浜市が知られていますが、フランスのパリ周辺でも、新たにロープウェイによる都市交通が生まれようとしています。

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© Île-de-France Mobilités/Doppel France

パリの南東に位置するイル・ド・フランス地域圏の都市クレテイユとヴィルヌーヴ・サン・ジョルジュの間4.5kmを結ぶもので、メトロ(地下鉄)のM、トラム(LRT)のTと同じように、C1という路線名が与えられました(詳細はこちら)。海外ではロープウェイとケーブルカーをケーブルトランスポートとまとめて扱うことも多いので、ケーブルの頭文字を当てたようです。今年中に開業予定で、5つの駅が設けられ、10人乗りのキャビンを30秒間隔で動かし、1日最大1.1万人を運ぶとしています。

現地の地図を見ると、湘南モノレール沿線のような起伏の多い土地ではありませんが、オフィシャルサイトでは貨物駅や高速鉄道の専用線、高速道路などが走っていて、クレテイユで連絡するメトロ8号線など、地上を走る鉄道の延伸は難しそうです。オフィシャルサイトでもロープウェイ選択の理由として、この点を挙げていました。同じ理由で道路整備も十分でないことが想像できます。ゆえにロープウェイは交通渋滞を解消し、交通空白地に移動の自由を与えるという目的もあるとのことです。

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2種類のモビリティサービスに共通しているのは、その土地の状況に合った乗り物を柔軟に選んでいることです。しかも移動することそれ自体が喜びになる乗り物でもあります。地表からかなり離れたところを、それなりのスピードで、アップダウンを繰り返しながら走る湘南モノレールは、それ自体がアミューズメントと言えます。とりわけ日本では、公共交通を維持していくうえで、こうした面は大切なことだと考えています。

先月のこのブログで告知した、鎌倉ウェルビーイングラボが主催し、ヤマハ発動機の街づくり活動TOWN EMOTION(タウンイモーション)が共催するプログラム「知りたいね、未来の街のこと〜徒歩15分歳の幸せ〜」は、7月6日の第3回を含めて終了しました。第2回に登壇させていただいた者として、参加した方々にこの場を借りてお礼を申し上げます。

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私も関わった第2回の模様については、記事にもしているので、興味のある方はご覧になっていただきたいと思いますが、その後気になって世界ウォーカブルシティの最新事情がどうなっているか調べていくと、興味深い事例に当たりました。

昨年11月に米国ニューヨークで、信号無視や横断歩道のない道の歩行を認める法案が成立し、今年2月に施行されたというのです。違反切符を切られる対象が有色人種に集中しているとの批判に配慮したとも言われています。たしかに過去の写真を見ると、人種を問わずかなりの人が横断していました。信号無視は好ましくないという意見もあったようですが、上記の結果に落ち着いたそうです。

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さらにインターネットで、外国に暮らす日本人の書き込みを見ると、英国でも歩行者の信号無視を違反としていなかったり、イタリアではそもそも歩行者用信号機をあまり設けていなかったりという記述も見つかりました。私もよく訪れるフランスは、歩行者用信号機が赤でも渡る人が多いことで知られていますが、理由として人権尊重を挙げる書き込みもありました。

いずれもルールをきちんと守ることが当然と考える人が多い日本では、考えられないことかもしれませんが、歩行者優先という思想が強く根付いていることも感じます。 というのも、日本の道路は歩行者の横断禁止を標識などで厳しく規制しており、実際にも横断する人は少ないのに、このブログで書いてきたように交通事故死者数に占める歩行者の割合が、他国と比べてかなり高いからです。

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私は郷に入れば郷に従えということわざどおり、日本に来たら日本のルールで移動をしてもらいたいと思っています。最近話題になっている「外免切替」についてもそうで、同じ道路を走るわけですから、日本人の運転免許と同等レベルの試験をすべきだと考えます。



しかしながら日本の道路交通は完璧ではありません。とりわけ課題となっているのが、上に書いたように歩行者が犠牲になる比率が高いことです。横断歩道で渡りたい歩行者がいても一時停止しないなど、自動車優先という意識を持つ人が多いからでしょう。逆に欧米は、車道を含めた道路全体を歩行者優先と考えているので、信号無視は大目に見るなどの考えに至るのかもしれません。

鎌倉に話を戻すと、鶴岡八幡宮に向かう若宮大路は中央の参道「段葛」に加えて左右に広い歩道があり、小町通りは午後は歩行者専用になるので、いずれも安全性は保たれていると感じていますが、狭い道では歩行者と自転車、自動車が混流しているところもあります。

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これに対して鎌倉市では、江ノ電(江ノ島電鉄)などと共同でパーク&ライドを展開していますが、行政や公共交通事業者ができることには限りがあります。肝となるのはやはり、個々のドライバーが歩行者優先という原則をしっかり持ち、観光客が多く訪れる場所では自動車の運転を控えるなどの心構えでしょう。そんなことを、久しぶりに鎌倉を歩きながら思ったのでした。

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